2022/12/29

2022年のふりかえり

 早いもので一年が終わろうとしています。今年も「自転車操業だ」と言い続けていただけのような気もしますが、この一年を振り返っておきましょう。

 

研究関係では出版×1、論文×2(学会誌に掲載されたものが1つと刊行予定のものが1つ)、口頭発表×3(研究発表、ワークショップ、講演)と司会×1。今年限定の学会関係のお務めとして支部大会運営というのもありました。怠け者の自分にしたらかなり色々なことに取り組んでおり、「自転車操業で…」と言っても罰はあたるまい(自画自賛)。

 

仕事関係では、担当している授業時間数も委員会も前年度とたいして変わらなかったのだけれども、委員会からみでサポートにまわる場面が発生しがちだったので、なんだかとにかく慌ただしかった…という印象。年度末までこの状況は続くだろうし、校務が変わることになるため新年度になっても慌ただしいのは変わらないだろうなぁ…。頼まれごとで身動きが取れなくなって心身ともに詰むということがないよう、逃げられることからはとことん逃げることを目指して生きていきたいものです。

 

それから、プライベートでは9年半一緒に暮らしたうさぎ(先輩)を9月末に亡くしました。今年に入ってから急速に衰えが出ていたため覚悟はしていましたが、いなくなられるのはやはり寂しい。とはいえ、後輩2号がいるので寂しがってばかりもいられません。後輩の快適な暮らしのため、まだまだ母ちゃんとして頑張っていきたいと思います。

 

2023年は仕事の方で慌ただしさが増しそうな状況です。そんなわけで、心身の健康を第一に「逃げられる仕事からは極力逃げる」ことを合言葉として生き、研究活動にも励んでいきたいと思います。

2022/04/09

出版の話

 博論を提出し学位をもらったのは6年前のことになりますが、その論文を加筆修正を加えて出版をしました。どんな経緯で出版にいたったのかを記録に残しておきたいと思います。

 

博士論文は、紙媒体(提出先の大学と国会図書館にそれぞれ所蔵される)と電子媒体で提出します。提出した論文は公開が原則で、提出先の大学リポジトリでの全文公開か出版が公開の方法になります。論文を提出した当初は出版の意志も予定もなかったため、私はリポジトリでの公開を選択していました。

 

そんな私がなぜ出版へと方向転換をしたかというと、出版社から声を掛けていただいたためです。コンタクトがあったのは2社で、1社はリポジトリを見て(だったはず)、もう1社は国会図書館で博論を読んだとのことでした(論文審査を受けていた当時は読者は審査の先生たちと公募の応募先の審査員だけだろうと思っていたため、明らかに論文を読んでいることが分かるメールを出版社の方からいただいた時には吃驚仰天したものです)。編集者から連絡をいただいたのをきっかけに出版の意志をかため、リポジトリの公開状況を要旨のみに変え、準備を始めました。

 

準備というと原稿の加筆修正もありますが、出版を実現させるうえでより重大なのは資金の工面でした。前任校にも現任校にも単著の出版助成の制度はないため、外部資金か自費で用意をしなければなりません。そこでまずは科研費(研究成果公開促進費)の獲得を目指しました。2016年度から2020年度まで(気力を失って応募をしなかった年は途中にあるけど)応募をしたものの、箸にも棒にもかからず。2020年度には民間の出版助成にも挑戦するも、これまた箸にも棒にもかからず。2021年度の前半に応募した民間の助成でも「お祈り」されたところで、助成が当たるのを待っていたら無理だ…と、助成金での出版を断念(財形貯金を切り崩すことを決意)。

 

助成の獲得を待たずに出版することを決めて原稿を提出してしまったら、校正やらなんやら、あれよあれよと事が進んでいったのでした。

 

過ぎてみて思うのは、博論をチェックしてくれる人というのは意外といるものだということ、そういう人からチャンスが転がり込んでくることがあるということ、資金面で腹をくくることさえできれば博論本の出版というのは夢語りでもないということです。夢語りでもないとは言っても、資金繰りは大問題です。そうじゃなかったら、論文提出から出版までに6年もの時間はかけません。支払後の通帳残高を前にしてめまいはしたけれども、一世一代のこととして挑戦してよかったかなと思います。

 

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