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2022/04/09

出版の話

 博論を提出し学位をもらったのは6年前のことになりますが、その論文を加筆修正を加えて出版をしました。どんな経緯で出版にいたったのかを記録に残しておきたいと思います。

 

博士論文は、紙媒体(提出先の大学と国会図書館にそれぞれ所蔵される)と電子媒体で提出します。提出した論文は公開が原則で、提出先の大学リポジトリでの全文公開か出版が公開の方法になります。論文を提出した当初は出版の意志も予定もなかったため、私はリポジトリでの公開を選択していました。

 

そんな私がなぜ出版へと方向転換をしたかというと、出版社から声を掛けていただいたためです。コンタクトがあったのは2社で、1社はリポジトリを見て(だったはず)、もう1社は国会図書館で博論を読んだとのことでした(論文審査を受けていた当時は読者は審査の先生たちと公募の応募先の審査員だけだろうと思っていたため、明らかに論文を読んでいることが分かるメールを出版社の方からいただいた時には吃驚仰天したものです)。編集者から連絡をいただいたのをきっかけに出版の意志をかため、リポジトリの公開状況を要旨のみに変え、準備を始めました。

 

準備というと原稿の加筆修正もありますが、出版を実現させるうえでより重大なのは資金の工面でした。前任校にも現任校にも単著の出版助成の制度はないため、外部資金か自費で用意をしなければなりません。そこでまずは科研費(研究成果公開促進費)の獲得を目指しました。2016年度から2020年度まで(気力を失って応募をしなかった年は途中にあるけど)応募をしたものの、箸にも棒にもかからず。2020年度には民間の出版助成にも挑戦するも、これまた箸にも棒にもかからず。2021年度の前半に応募した民間の助成でも「お祈り」されたところで、助成が当たるのを待っていたら無理だ…と、助成金での出版を断念(財形貯金を切り崩すことを決意)。

 

助成の獲得を待たずに出版することを決めて原稿を提出してしまったら、校正やらなんやら、あれよあれよと事が進んでいったのでした。

 

過ぎてみて思うのは、博論をチェックしてくれる人というのは意外といるものだということ、そういう人からチャンスが転がり込んでくることがあるということ、資金面で腹をくくることさえできれば博論本の出版というのは夢語りでもないということです。夢語りでもないとは言っても、資金繰りは大問題です。そうじゃなかったら、論文提出から出版までに6年もの時間はかけません。支払後の通帳残高を前にしてめまいはしたけれども、一世一代のこととして挑戦してよかったかなと思います。

 

2016/03/23

学位が取れました。

 このたび学位を取ることができました。ここにいたるまでのことを少し振り返りたいと思います。


 

基本情報は…

専攻:文学

職業:英語教員

(勤務先は高等教育機関なのですが、校務の他に委嘱業務(=部活の顧問)、英語弁論の指導(勤務校にESS的な部活はなく、英語科教員が担当)、外部試験をはじめ英語関係の学習相談などをしています)

世帯:単身

(2013年5月から先輩、2014年11月から後輩を迎え、現在は2匹のうさぎと共同生活)

 

 

学位までの道は…

2008年3月 

籍を置いていられる上限を迎え、単位取得満期退学。大学および予備校で非常勤講師をしつつ、就職活動。

(在籍中も学位取得を目ざして学会発表や論文投稿は行っていたけれど、迷走していたと思う。)

2008年9月 東京からIターン就職。

(この時点では博論が書けたら出身校に提出をするつもりだった。)

2011年   

仲の良かった同僚から、近隣の大学で学位を取得することを勧められる。

主査をしていただいた先生にコンタクトを取って面談をし、博士後期課程に入り直して学位取得を目指したいことを伝える。

この件について出身校の師匠の了承を得たうえ、社会人枠で受験。

2012年4月 

大学院に入り直す

(社会人ということで、定期的に論文指導にうかがう形に。)

2014年   

4月から10ヶ月間の研究期間をもらい、東京時代から書きためていたものを学位論文にとりまとめる。予備審査で差し戻し。

(差し戻しとはなったが、草稿の状態にまでもっていけたのは内地研究員として論文に集中できたおかげ。これがなかったら絶対にもっと時間がかかった。)

2015年   

職場復帰し、校務・委嘱業務等々に追い立てられつつ、修正作業。

(修正に必要な勉強はしていたが、国際学会での発表、委嘱業務の大会運営や引率が続いたため、実際に書き直しに着手したのは秋口になってから)

締め切り直前に起こる突発案件に翻弄されつつ、予備審査(12月)。

2016年2月 予備審査での指摘に基づき修正をした論文を提出し、本審査。

本審査での指摘を踏まえてさらに修正し、製本したものを提出。

 

 

実際にまとめだしたのは大学院に入り直してからですが、東京での現役大学院生時代から意識はしていたので、2000年を迎えてからずっと博論に取り組んでいたことになります。15年も奮闘していると周囲の人たちに色々と迷惑をかけているわけで、学位を取るのは自分なんだけれども自分だけの問題でもなくなっているという状況でした。そんなわけで、今はとにかく「取れてよかった…」とほっとしています。とはいえ、段階を経るたびに「全然だめだ…」と反省することばかりだったので、ほっとしてばかりもいられません。ひと息つけたら、働きながらの研究活動に邁進していきたいと思います。